当町は19千人の人口です。その内、主な産業が水産業でありまして、水産業、特に牡蠣の養殖でございます。山田湾内に2800の筏、1500台の延縄があります。殆ど壊滅状態であります。堤防は明治の津波の6.58bを参考に8.35の堤防を築きました。全部超えて一部決壊しております。まちの居住頭数5963頭の内、全壊、或いは震災後の火事、併せて44%の2630頭が全壊並びに全焼、そして一部損壊まで含めると3100頭、いわゆる52%が影響を受けております。それから船の数は900あるんですけれども、残っているのは160艘だけでございます。ですから養殖業再開までに3年は掛かります。その3年間は収入はありません。そのみちをどうやっていくか大変な状況であります。という中で、1つの例として三陸縦貫道の高規格道路が生きました。というのは震災直後45号線は決壊、不通の状態になりましたが、高規格道路に交差している丁度広い道路があります。そこの付近をガードレールを取り外させて頂いて、正に救急搬送、それから物資輸送、その役割を果たすことが出来ました。これこそ正に命の道、産業の道であります。従って、この三陸縦貫道の早期計画でなくて、私はむしろ早期完成、それを望みます。従ってこれが、まちにとっても、正に住民の命と暮らしを守る道になります。是非、皆さんの今後の御支援をよろしくお願いします。有難うございます。

 私の村は人口4,000人位でございますけれども、やはり今回の津波で大きな被害を受けております。それにつきましては全国の皆さんから本当に心温まる支援物資を頂きまして、本当に有難うございました。御蔭様をもちまして瓦礫の撤去、或いは仮設住宅等が建設されておりますけれども、6月末を目処にみんなで頑張ろうということで進めております。

 これからも復興に向けて村民一丸となって頑張って参りますので、今後共引き続き御支援の程よろしくお願い致したいと思います。本当に有難うございました。

久慈市は、人的被害は大変少なかったのですが、しかし物的被害が大きくて船の9割が損壊、または流失を致しました。この水産業を再興するという事が大きな課題でございます。この3.11には八戸、久慈を結ぶ国道45号が浸水を致しました。そのために大きく迂回をしなければならないという状況もございます。産業の復興のためにも、救援物資等を運ぶ救援道路としても、この復興道路の整備を早くして頂きたいという思いであります。どうぞよろしくお願い致します。

 新地町を今回の被災で有名にしちゃったのは新地駅に止まっていた電車が引っ繰り返って流された、あの映像を皆さん御覧になったと思います。でも、若い警察官の機転で、40名の乗客が町の方に避難することが出来ました。命が助かりました。でも、その陰に避難道路である県道、海岸道路から役場の方に入って来る県道、そこに電車が駅に止まっているために遮断機が下りたままの状態、逃げようと思って出た車が海岸沿いまで、ずっと行列で繋がってしまいました。そこで多くの犠牲者が出た。これも大変残念なことです。私達、全国から多くの皆さん方に応援頂いて、今復旧に向けて頑張っています。今日、この大会に来るのにも私達福島県、第一原発があるような状況です。真っ直ぐ東京に向かうことが出来ません。常磐線も通れない、6号線も通れない、常磐自動車道も走れない。私は一旦仙台に走りました。仙台から新幹線で、この会場に駆け付けました。そういう状況です。相馬市長が今日の司会を行っておりますけれども、私達の経済界、県都福島へ行くにも私の所から1時間半掛かります。そういう状況で一旦宮城県に走りながら出て来なくてはいけない状況です。そういうインフラの整備、是非ともお願いしたい。そういう面では今、常磐道も今年東京から相馬まで開通するはずだったんです。こういう状況で開通出来ません。少し早く仙台の方から南下して頂ければ私達の復興活動も、より早まると思いますし、そして相馬から県都福島への阿武隈東道路、この工事を早く進めて頂きたいなというふうに思っております。

 最後に皆さん、私達の同じ隣であります、南相馬市、飯舘村、そして双葉地方の8つの町村の同志達が大変厳しい環境で、今、町が、村がバラバラに引き裂かれる様な状況です。1日も早い原発の終息を願って挨拶とさせて頂きます。有り難うございました。

 今回の地震による大津波で野田村の世帯数の3割近い家が流失致しました。そして村民の方を含め37名の方が亡くなられましたが、その37名の内、十数名の方が国道を走行中に車と共に流され亡くなりました。野田村は国道45号線が海沿いを走っております。その当時、復旧にも支障をきたした所でございます。今後は国道のかさ上げ、そして付け替えや新設等、是非お願いしたいと思っております。災害、特に津波に強い国道、防潮堤も兼ねた国道の早急な整備を、住民を代表して要望致したいと思います。

 道路災害等については、もう市町村長さん方から色々お話がありましたので、私からは今回の災害の復旧については皆と力を併せて、これまでの前例にとらわれない大きな気持ちで、そして東北を必ず復旧させるという意気込みで手を繋いで私達を助けて頂くことを心からお願い申し上げます。

 そしてまた全国の皆さんに御支援・御協力頂いたことに心から感謝申し上げ、お願いの挨拶とさせて頂きます。有難うございます。

 30年以内に99.99%の確率で起きるという地震、正に311日でありました。普通は九死に一生という言葉がございますけれども九九死に一生の実態であります。多くの犠牲者を出しました。色んな意味で悲しさを乗り越えて行かなきゃと思います。
 実はうちの方は入り江でありますから、或る意味では幹線道路
1本しかないと言ってもよいでしょう。30年以内ということで、林道整備をやって6`の林道整備が後2年位で改善、15年掛かっています。しかし、こういうやり方では一寸問題があるかなと。要するに迂回道路が無い訳です。女川町では8割の家が流されました。(震災後)集まった避難者達は何も食べないで3日間です。4日目の夕方に14百食来ただけであります。しかもヘリコプターで。どうなるんだろうと思いました。その後全国の皆さん方、温かい物資を送って頂きまして現在がある訳で、心から感謝を申し上げたいと思います。復興については大変な思いを持っておりますけれども、九九死に一生でありますから、残された、生かされた我々はしっかりと町民を抱えて、意思・心を1つにしながら、これから頑張って参りますので、どうか相変わらずの御支援をよろしくお願い致しまして挨拶と致します。

 私の所は国道45号線、それから県道ではございますけれども、産業道路と言う道路がございます。うちの市から御遺体が挙がった数が、186遺体でございます。その殆どが国道45号線、そして産業道路から挙がったということで、如何に道路を走っている車が、津波が来るのを殆ど分からないで走っているかという証左ではないかなというふうに私は思います。
皆様方もYouTube等で動画等御覧になっているかというふうに思います。何とか、国土交通省関連の議員さん方が多いと思いますから、是非津波に襲われる恐れのある道路に関しましては、広報のやり方を改善しなければいけないのではないかなというふうに思った次第でございます。

 また、私共の多賀城市は歴史のまちでございますけれども、仙台新港から直ぐ間近にソニーを始めとして500件程の工場地帯がございます。ソニーも半分程、別の所に移ってしまう。また、皆さん御存知かと思いますけれどもダンボールで有名なレンゴーさん等々、もう津波の来る所にはいたくないという現状が迫って参りました。下手すると企業群が殆どいなくなるまちになるんではないかなという懸念をしている訳でございます。是非、国会議員の先生方、また県、また市町村一緒になって、どうやれば津波からまちが守れるのかなということを、力を併せて津波対策を早急に出して頂きたいというふうに思います。
 当市は幸いにも津波の被害はございませんでした。しかし、お隣の町が南三陸町というようなこともあり、実は発災したその日から、着の身着のまま、津波で流された住民の皆さんが数百名単位で避難されお見えになりました。市民の避難者だけでなく、そういった意味での避難者の受け入れ、そして支援の在り方も、これもまさしく道路が無くては、何も改善がされないというような状況でありました。1日も早く救いたい、しかしながら、その集落、集落が三陸沿岸は入り江になっているために、45号線、それが寸断されているために、実は復旧が非常に遅れたという様な課題がございます。三陸縦貫自動車道の早期の計画の実現を、菅原市長がお話しになりました。これが無くては、まちづくりは始まりません。是非、早期の計画の提示を、本当に我々も強く求めて参りたいというふうに思います。隣接の市町も同じ思いの中で、津波で流された病院の機能をバックアップをし、特別養護老人ホームが無くなった地域の人達の受け入れをしており、市民も同じな思いをしているところでございます。その連携を司るのも、また道であります。是非、この意義を皆様お一人お一人お汲み取りを頂きますようにお願いを申し上げます。

 311日の大震災以来全国から多くの御支援を頂きましたこと、改めて感謝を申し上げます。

 名取市は仙台市の南隣、仙台空港の所在都市でもあります。人口73千人の町で、昨日までに発見された御遺体が901名、本当に多くの被害を受けました。海辺のまち、閖上と言う漁港でありますけれども、2550世帯の内の殆どが流失してしまっております。土台から跡形もなく、何も残っていないと、仙台空港の周辺にある北釜、約100戸程の集落でありますが、ここもまちが消滅しております。この様な今回の我々の災害は地震ではなく、津波による壊滅的な被害を受けております。この津波でありますけれども、内陸部に海岸線に並行して仙台東部道路という高架の道路がありました。この高架の道路で津波が止まってるんですね。そこから開口部から若干、水は内陸の方に流れておりますけれども、この高架の道路の防災的な役割、これに改めて大きな意義を感じているところであります。仙台新港から南の方に来る主要県道であります塩竃亘理線、明日、再開開通の予定になっております。我々も道路の有り難み、道路の重要性、これに改めて思いを致しているところであります。
 また、災害復興に本当に全力で投球している訳なんですけども、この復旧には道路だけでも名取市で約60億円位掛かる。問題は補助対象にしてもらうためには、調査・設計しなくちゃいけない。激甚災害に指定されても、その半分は地元で持たなければならないという、この負担が大変であります。是非とも1/2などということは言わずに全額調査・設計費をみて頂ける様に、よろしくお願い致します。

 みんなで力を併せて1日も早い復興目指して頑張って参りますので、どうぞよろしくお願い致します。

◆岩手県 洋野町長  水上 信宏
◆岩手県 野田村長  小田 祐士
◆岩手県 久慈副市長  末崎 順一
◆岩手県 田野畑副村長  工藤 正勝
◆岩手県 山田副町長  佐藤 勝一
◆宮城県 多賀城市長  菊地 健次郎
◆宮城県 登米市長  布施 孝尚
◆福島県 新地町長  加藤 憲郎
◆宮城県 女川町長  安住 宣孝
◆宮城県 名取市長  佐々木 一十郎

 この度の震災に当たりましては全国の市町村の皆さんに大変御心配をお掛けしております。また大きな御支援、協力、本当に有り難うございます。
 私の市は、国道45号線が走っていますが、一方で三陸縦貫自動車道の整備もゆっくりながら進みつつありました。3つの事業区間と、3つの基本計画区間があります。先般、大畠国土交通大臣がお見えになりましたので、国道45号線の180bにも及ぶ橋が落橋したその惨状を見て頂きました。三陸道の基本計画区間に当たります。この震災を機に躊躇無く「全線、即時事業化ではありませんか。」と御進言を申し上げました。何も迷うことはないと思います。人の命に代えられるものは無いと思います。そういう訴えをさせて頂きました。
 もう1つ、ここにいらっしゃる被災地の首長さん達は皆さん、同じお気持ちだと思いますけれども、三陸道を含む高規格道路のルートの決定が今必要なんです。それが無ければ私達は町の復興計画が立てられません。現在、国で復興構想会議が開かれております。各県でも復興の委員会が開かれていると思います。私どももまちづくりをしていきたい。我が町の何処に道路が通るんだ、早く決定をして頂きたい。そのことで、初めて私達の明日が始まるというふうに思っております。
 気仙沼は水産のまちということで取り上げられております。私も新しく作りました名刺に「海がある限り気仙沼は不滅だ」と書かせて頂きました。カラ元気であります。皆様方の御協力を頂きながら一生懸命被災地のみんなの力を併せて頑張って行きたいと思います。今後とも御協力をよろしくお願い申し上げます。

◆宮城県 気仙沼市長  菅原 茂

 この度は全国各地区から多大な御支援を頂きましたことを、この席をお借りして厚く御礼申し上げます。

 実は私の村の村民は、他の道路を走行中、国道でございますけれども7名ほど亡くなりました。しかし、村の中では人命と財産は失うことなく過ごすことが出来ました。このことに対しまして、一寸触れさせて頂きますけれども、津波の経験を活かして10期やった和村幸得村長が一生懸命防潮堤、そして水門を造ってくれたお陰でした。このことで非常に成果が現れました。
 今言われております「コンクリートから人」ということでございますが、私は、やはり場所によってはコンクリートも必要だと思います。このことは、これからも皆さんも大いに認識されまして取り組んでいく必要が有るのではないでしょうか。
 私の所は沿岸でございます。沿岸は殆どの施設が壊滅的です。生産される全てのものを失いました。その事に対しまして、漁民は一生懸命立ち上がろうとしております。そして私は生命・財産を守ったんだから全国に1番復帰が早い村であると言う様に頑張りなさいということを言っておりました。そして、この漁民の人達は非常に苦しんでいる訳ですが、「同情するなら船をくれ」、なんですね。そして「同情するなら金をくれ」、なんです。そして又、「同情するなら仕事をくれ」、なんです。これが今回の東日本大震災を経験されました全ての皆さん達の気持ちではないでしょうか。国会の先生達もおりますので、敢えてこの様なお話しをさせて頂きました。有り難うございました。

◆岩手県 普代村長  深渡 宏

 全国からの御支援に御礼申し上げながら被害の報告を申し上げます。

 私の所は地震被害でございました。311日と47日、6強の地震が2回ございまして、ライフライン、インフラ等がずたずたに寸断され、住宅被害もございました。しかし今懸命の復旧を自分のところだけではなくて沿岸地域も含めて、連携をとりながら行っております。その折りに道路の重要性を改めて認識いたしました。まず、高規格道路は津波の被害をくい止め、また震災後の様々な物資などの補給路として大きな役割を果たしました。それと東北の特有であります、通年通行が出来ない横断道路が関係自治体との連携による復旧を大いく阻害していることも目の当たりにしました。そういう連携を進めていく中で、高規格道路の一層の充実、通年通行出来る横断道路の整備を災害に強い国土づくりの大きな柱に加えなければならないと痛感を致しております。今後とも御支援をよろしくお願い致します。
◆宮城県 大崎市長  伊藤 康志

 この度は全国の皆様から多大な御支援を頂きまして本当に有り難うございます。

 311日、あの大津波を目の当たりにした際には、本当に谷底に突き落とされる思いが致しました。しかしながら、その晩、自衛隊の第1隊が大船渡市に駆け付けて頂きました。翌日朝の5時半から瓦礫で埋まった道路を綺麗に片付ける作業が始まりました。何とも有り難いお話しでございます。これも道路があったお陰と本当に感謝しております。以来70日間経ちました。全国の皆様から寄せられた御支援を基に、ライフラインの復旧や仮設住宅、それから瓦礫の撤去、何とか少しずつ目処が立って参りました。今度は地場産業、事業所の再開に向けた様々な活動をして行かなくてはなりません。それと同時に、長い道のりになるかと思いますが、復興の計画を作って、それを着実に実行していく。これが今後大切になって参ります。

 私は今この様に考えています。我々が毎日努力する限り、将来は明るいと、その様に考えております。全国の皆さん、一緒に頑張って参りましょう。

 先ず全国の皆様、そして世界中の皆様方から温かい応援を頂いて、私共陸前高田市民も頑張っているところでございます。心から感謝を申し上げたいと思います。

 私どもの地域は本当に大きな被害を受けてしまいまして、亡くなられた方が、すでに1500名位いらっしゃいますし、未だ行方不明の方が700名位いるという状況でございます。
私どもは、これまでも道路の必要性、そして命のための道路ですよとい
うことを言ってきました。国土交通省の皆さんも私達と同じ気持ちでした。しかし何故か前に進まない。何で前に進まないんでしょうか。これは国会で或いは財政の問題で、そこを認めて頂けないからです。しかし現実に、こういう災害が起こってしまいました。本当に悲しい思いをしております。私達が言っている道路というのは無駄なことでは無いんです。本当に必要だからお願いをしている訳でございますので、皆様方、そして国会議員の皆様方に御理解を頂きたいと思います。
 そして、最後にもう1つ、今日は道路の大会でありますけれども1つだけお願いをさせて頂きたいと思います。私達被災者にとって今回の問題を政局にされることは、本当に残念に思います。今回の問題を政局にしないで頂きたい、そのように思います。よろしくお願い致します。

 釜石と言えば世界最大水深を誇ります湾口防波堤。昨年の10月にギネスに登録をさせて頂きました。残念ながら、この311日の津波によりまして決壊をしてしまいました。如何に大きな津波かと言うことは、このことからも皆さんも想像出来るかと思います。そうした最中でございましたが、実は小学校、中学校の登校した生徒は一人残らず助かりました。その1つの事例として、実は311日の1週間前に三陸縦貫自動車道の釜石山田道路の内、僅か4.6`の短い区間でございましたが道路が開通しておりました。45号線が全て寸断された状況の中で、その4.6`の道路を通って子供達が命からがら安全な場所に逃げることが出来ました。正に奇跡だと思っております。先程来、お話しがありました通り、この道路は命の道路として十分役割を果たしてくれました。これからも是非、このミッシングリンクを解消して、地域住民の命を守って頂きたいと、この様に思っております。同時に今、この津波により地域の存亡が掛かっております。12年は何とか仮設住宅で暮らすことが出来るかもしれませんが、その後の生活の見通しが全くたっておりません。何とかして、この地域に雇用の場の確保、生活の糧を得られる産業の振興が必要でございます。そのためにも道路が必要でございます。私は命を守ると同時に命をつくる道路としての役割もあるだろうと思います。地域に住む人達が安心して、この場所で同じように生活が出来、また次の世代も、その場所で生活出来るようにするためには命が必要でございます。命を守る道路、命をつくる道路として、これからもどうぞよろしくお願い申し上げまして、地域からの要望に代えさせて頂きます。

◆岩手県 釜石市長  野田 武則
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◆岩手県 大船渡市長  戸田 公明
◆岩手県 陸前高田市長  戸羽 太

 今回の被災後、国・県・そして全国沢山の市町村長の皆様、全国民の皆様から大変大きな支援と御協力頂きましたことに御礼を申し上げます。有り難うございました。
 三陸沿岸地域は昔から津波の常襲地帯でございます。特にも宮古市田老地区という所は、明治29年、昭和8年の三陸大津波で壊滅的な被害を受け、この度、高さ10b以上の防波堤を築いておりましたが、その防波堤を乗り越え田老地区は全滅しております。同様に沿岸部の市町村も壊滅的な被害を受け、インフラ施設も破壊されております。その中にありながら、三陸縦貫自動車道などの高規格道路はミッシングリンクがありながらも、津波襲来時、人々の避難道路、いわゆる命を守る道路として大変大きな役割を果たし、その後救援活動物資輸送における緊急輸送路ともなりました。  また、今回の被害で内陸から横断道路を通じまして、救助隊や救援物資の輸送ルートになるなど復旧支援道路として、この横断道路が重要な役割を果たした点を見逃してはならないというふうに思っております。
 今後、まちづくりにおきまして高規格道路などのインフラ整備が必ずや必要と思っております。この高規格道路のミッシングリンクの解消に向けて、スピード感を持って展開されますよう熱望致します。よろしくお願い致します。

◆岩手県 宮古市長  山本 正徳
東日本大震災被災市町村長の声 「震災から命を守る道づくり全国大会」 より